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2014年4月28日【1964年オリンピックの東京改造を振り返る その1】
こんにちは!
いつも大変お世話になっております。
不動産投資セミナーでおなじみの和不動産でございます。
2020年に東京でのオリンピックの開催が決定してから、新路の開業や街の再開発などが次々と計画・着工されていますが、
今から50年前に行われた1964年の東京オリンピックでは、どのような東京都の改造が行われたのでしょうか。
今回から3回にわたり、昭和東京オリンピックのための東京改造について、日本経済新聞の記事を紹介していきたいと思います。
貧弱だった都市基盤
1964年10月10日からの2週間、アジア初のオリンピックが東京で開催されました。
日本史上初めての世界的ビッグイベントは、貧弱な都市交通や生活環境などの多くの問題を抱えていた東京を一挙に改造する
千載一隅のチャンスでした。
総投資額約1兆円(国の歳入で比較すると、現在の約33兆円)のうち、大会の直接費用は1%程度で、
残りは都市基盤整備に使われたのです。
*背景
1960年7月に登場した池田勇人内閣は、「所得倍増」政策を掲げました。
「政治の季節」は終わり、高度成長の「黄金の10年間」の始まりです。
その跳躍のための力は50年代から徐々に蓄えられていました。
1952年には12万台だった東京都内の自動車登録台数は、1958年には40万台を突破。
1062年には、その倍の80万台を超えるまでになりました。
急激な車社会の到来に道路整備が追い付かず、都心部では慢性的な渋滞がおきていました。
*交通・水・生活環境という問題
1955年12月に、「首都高速道路生みの親」と言われる辣腕の元内務官僚・山田正男が東京都に招かれ、
都市計画の最高責任者となりました。
山田は1965年には東京の都心部の交通は完全にマヒするという「昭和40年危機説」を唱えました。
鉄道も深刻な状況にあり、郊外人口の増加で都心部に乗り入れる国鉄。私鉄の通勤電車の混雑は殺人的なものになっていました。
交通のほかにも、膨れ上がった「大東京」はいたるところできしみ始めていました。
そこで大問題だったものの1つが水です。
多摩川水系の淀橋浄水場での上水供給は限界にきており、渇水が頻発していました。
1960年には江戸川取水の金町浄水場の拡張工事で供給力の増強が図られました。
また、生活環境も現在の東京からは想像できないほど劣悪でした。
当時の新聞には、「狭い道路に車があふれて排気ガスが充満しているだけでなく、
騒音が街を包み、盛り場や住宅地もごみが散乱し、悪臭が鼻をつく街であった」と書かれています。
オリンピックへ向けて、「蚊とハエをなくす運動」 が推奨され、保健所・清掃事務所のほか、
町内会の一般市民も協力して側溝の汚泥をさらい、公衆便所の清掃、各戸への便所用薬剤の配布などが行われました。
イベントに関連して都市改造が実行される最大の理由は、インフラ整備に対する財政の集中投資が国レベルにおいても
自治体レベルにおいてもイベント開催時に限って正当化され、許容されるからなのです。
これについては2020年の東京オリンピックについても同じことが言えますね。
次回は実際行われた都市改造の内容についてです。
もう実行済みの都市計画ですが、不動産投資家の方にもお付き合いいただければと思います!
ではまた明日!
いつも大変お世話になっております。
不動産投資セミナーでおなじみの和不動産でございます。
2020年に東京でのオリンピックの開催が決定してから、新路の開業や街の再開発などが次々と計画・着工されていますが、
今から50年前に行われた1964年の東京オリンピックでは、どのような東京都の改造が行われたのでしょうか。
今回から3回にわたり、昭和東京オリンピックのための東京改造について、日本経済新聞の記事を紹介していきたいと思います。
貧弱だった都市基盤
1964年10月10日からの2週間、アジア初のオリンピックが東京で開催されました。
日本史上初めての世界的ビッグイベントは、貧弱な都市交通や生活環境などの多くの問題を抱えていた東京を一挙に改造する
千載一隅のチャンスでした。
総投資額約1兆円(国の歳入で比較すると、現在の約33兆円)のうち、大会の直接費用は1%程度で、
残りは都市基盤整備に使われたのです。
*背景
1960年7月に登場した池田勇人内閣は、「所得倍増」政策を掲げました。
「政治の季節」は終わり、高度成長の「黄金の10年間」の始まりです。
その跳躍のための力は50年代から徐々に蓄えられていました。
1952年には12万台だった東京都内の自動車登録台数は、1958年には40万台を突破。
1062年には、その倍の80万台を超えるまでになりました。
急激な車社会の到来に道路整備が追い付かず、都心部では慢性的な渋滞がおきていました。
*交通・水・生活環境という問題
1955年12月に、「首都高速道路生みの親」と言われる辣腕の元内務官僚・山田正男が東京都に招かれ、
都市計画の最高責任者となりました。
山田は1965年には東京の都心部の交通は完全にマヒするという「昭和40年危機説」を唱えました。
鉄道も深刻な状況にあり、郊外人口の増加で都心部に乗り入れる国鉄。私鉄の通勤電車の混雑は殺人的なものになっていました。
交通のほかにも、膨れ上がった「大東京」はいたるところできしみ始めていました。
そこで大問題だったものの1つが水です。
多摩川水系の淀橋浄水場での上水供給は限界にきており、渇水が頻発していました。
1960年には江戸川取水の金町浄水場の拡張工事で供給力の増強が図られました。
また、生活環境も現在の東京からは想像できないほど劣悪でした。
当時の新聞には、「狭い道路に車があふれて排気ガスが充満しているだけでなく、
騒音が街を包み、盛り場や住宅地もごみが散乱し、悪臭が鼻をつく街であった」と書かれています。
オリンピックへ向けて、「蚊とハエをなくす運動」 が推奨され、保健所・清掃事務所のほか、
町内会の一般市民も協力して側溝の汚泥をさらい、公衆便所の清掃、各戸への便所用薬剤の配布などが行われました。
イベントに関連して都市改造が実行される最大の理由は、インフラ整備に対する財政の集中投資が国レベルにおいても
自治体レベルにおいてもイベント開催時に限って正当化され、許容されるからなのです。
これについては2020年の東京オリンピックについても同じことが言えますね。
次回は実際行われた都市改造の内容についてです。
もう実行済みの都市計画ですが、不動産投資家の方にもお付き合いいただければと思います!
ではまた明日!