1964年オリンピックの東京改造を振り返る その2 2014年4月29日(和不動産スタッフブログ) 不動産投資のことならアフターフォローも充実の【和不動産】へ

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2014年4月29日【1964年オリンピックの東京改造を振り返る その2】

こんにちは!

いつも皆様には大変お世話になっております。

不動産投資セミナーでおなじみの和不動産でございます。

前回は都市の環境浄化と交通整備についてでしたが、今回は、開発で生まれ変わった街とその景観についてのお話になります。

明日から弊社で開催される不動産投資セミナーでも、オリンピックによる経済効果についてお話いたしますので、

2020年東京オリンピックの投資市場への影響が知りたい方は、ぜひ「勉強会・セミナー・イベント情報」のページを参照ください!

 

生まれ変わった街、景観は犠牲に

1959年5月に開催が決定してから数年間、オリンピックに関する国民の関心は意外に低かったといいます。

開催2年前にNHKが行ったアンケート調査では、東京開催を知っていた人は68%、「開催に賛成」は38%であり、ムードが一気に高揚するのは開催年になってからでした。

人々の「無関心」をよそに、東京改造工事は唸りを上げて進んでいました。

 

   

「戦後の40年間の東京の移り変わりを振り返って、この町が最も大きく変貌を遂げたのは東京オリンピックの前後だったと多くの人々が強調する。東京中が掘り返され、次々と新しい町が出現していった」(塩田潮『東京は燃えたか』)と書かれているほどです。

中でも最も重視されたのが道路整備で、1960年12月、首都圏整備委員会がとくに整備が急がれる道路を

「オリンピック関連道路」と決定しました。

一般道路は合計30路線、全長約75㎞に1070億円が投じられました。

特に環状7号線と青山通りにおは全体費用の半分近い440億円が使われました。

環状7号線が重視されたのは、オリンピック選手村の当初候補地が現在の朝霞市にあり、大会主会場から遠方にあったために、

都心部への大動脈道路として整備する必要があったという理由からです。

結局選手村は代々木になりましたが、道路整備は当初の計画のまますすめられました。

 

また、主会場と第2会場の駒沢公園を結ぶ青山通りは幅員が2倍の40mに拡幅されました。

通り沿いの商店が立ち退きを強いられたり、敷地を大幅に削られました

高速道路は選手、役員を羽田空港から輸送する路線と位置づけられた1号線をはじめ4線までが大会前に完成しました。

用地買収交渉の時間や費用を節約するために、河川、既設道路、公園などの公有地場を高架で通過するルートがとられました

このように、悪評高い日本橋上の4号線分岐線など、景観は軽視されたのです

 

次回は、1964年オリンピックを踏まえて、2020年の再開発はどのようにおこなわれるのかを見ていきます。

不動投資家にとって再開発は特に関心が高い分野かと思われます!

ではまた明日!

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